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故事成語20選

故事成語とは

故事成語とは
中国の古典に書かれている話(故事)を語源とし、ものごとの由来やたとえ、いましめなどを端的に表した言葉。

普段の会話で使うとちょっとカッコイイ故事成語を 20 集めてみました。
由来は、諸説あるなかの1つです。
「~とも言われています。」というお話です。

 燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや

燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや

 読み】えんじゃく いずくんぞ  こうこく の こころざし を しらんや
 意味】小物には大人物の考えや志がわからない

燕雀=小さい鳥 燕(ツバメ)や 雀(スズメ) 
鴻鵠=大きい鳥 (オオハクチョウ)

ー 嘆いている農夫の話 ー

農民の反乱が相次いでいた時代、
のちに楚(そ)王となる陳勝(陳渉ちんしょう)が、農夫だったとき

陳渉:「自分が偉くなった暁には、お前たちのことを忘れずにいよう。」
仲間:「ハハ、雇われ人が何を言っている?」
陳渉:「やれやれ、小さな鳥には、大きな鳥の気持ちなんて分からないよなぁ」

出典】『史記』
著書】 司馬遷
漢文】「燕雀安知鴻鵠之志哉」

 帰りなんいざ

帰りなんいざ

 読み】かえりなん いざ
 意味】さあ帰るぞ

ー 陶淵明が役人を辞して、故郷へ帰るときに詠んだもの ー

故郷の田畑が荒れていくというのに、こんなとこで役人やってて何をしているのだ自分は。
なぜ帰らん?さあ帰るぞ!

出典】『帰去来辞』(ききょらいのじ)
著者】 陶淵明(とうえんめい)中国東晋の詩人
漢文】「帰去来兮 田園将蕪 胡不帰」
書き下し分】
   「帰りなんいざ、田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる」

 泣いて馬謖を斬る

泣いて馬謖を斬る

 読み】ないて ばしょく を きる
 意味】己の情を捨て道理を通さなければならない時がある

ー 三国時代、街亭の戦いでのお話 ー

街亭の戦いにて、
将軍馬謖(ばしょく)は、
蜀(しょく)の軍師諸葛亮の命令に背き、大敗してしまう。
諸葛亮にとって馬謖は、
愛弟子であり親友の弟であったが、斬罪(ざんざい)に処した。

出典】『三国志ー蜀書(しょくしょ)ー馬謖伝』『十八史略』
漢文】「亮爲政無私。馬謖素爲亮所知。及敗軍、流涕斬之、而䘏其後。」

 李下に冠を正さず

李下に冠を正さず

 読み】りか に かんむり を たださず
 意味】誤解を招くような行為は避けるべき

李下=すももの木の下

ー 責任ある立場の人の処世訓 ー

君子たるもの、
疑われるような行動は未然に防ぎ、疑いを受けるようなところには居ないことだ。
瓜の畑では、かがんで靴を履くようなことはしない。
李(すもも)の木の下では、冠を直したりしない。

出典】 古典詩:『古楽府』(こがふ) 君子行
漢文】「君子防未然 不處嫌疑間 瓜田不納履 李下不正冠」

 管鮑の交わり

管鮑の交わり
 
 読み】かんぽう の まじわり
 意味】利害に左右されない厚い友情

管鮑=管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)のこと

ー 管仲と鮑叔の物語 ー

管仲は、今や中国春秋時代の斉(せい)の名宰相であり、鮑叔は斉の重臣。
かつて、

管仲→商いの取り分を多く取っていた。
鮑叔:貪欲じゃない、貧しいのを知っているから。
管仲→よかれと思うことがことごとく失敗。
鮑叔:時の運だよ。無能なわけじゃない。
管仲→戦いから逃げる。 
鮑叔:臆病じゃない。老いた母の為さ。

今の主君に管仲を推したのも鮑叔。
管仲は言った、
「私を生んだのは父母であるが、私を理解してくれるのは鮑叔さんである。」

出典】『十八史略』
著者】曾先之(そうせんし)

 死せる孔明生ける仲達を走らす

死せる孔明生ける仲達を走らす
 
 読み】しせる こうめい いける ちゅうたつ を はしらす
 意味】死してなお畏れさせること

孔明=諸葛亮の字
仲達=司馬懿(しばい)の字

ー 五丈原(ごじょうげん)の戦いでの司馬懿の話 ー

三国時代、
蜀(しょく)と魏(ぎ)の争いである五丈原(ごじょうげん)の戦いの中、
蜀の丞相(じょうしょう)である諸葛亮が病没し、蜀軍は撤退した。
司馬懿は、諸葛亮が死んだと判断し蜀軍に攻め込んだ。
が、蜀軍が反撃のそぶりをみせたため、
死んだと思わせる計略に落ちたのかと
恐れおののき、退却した。

出典】『十八史略』
漢文】「死諸葛走生仲達」

 剣を落として舟を刻む

剣を落として舟を刻む

 読み】けん を おとして ふね を きざむ
 意味】古い考えに囚われて時代の変化を理解しない

ー 舟から剣を落とした人の話 ー

楚の国の人が、河を舟で渡っているときに、剣を河中に落としてしまう。
急いで、剣が落ちた場所として舟べりに目印を刻む。
舟が止まり、剣は目印の位置にあると潜って探す。
が、剣は見つからなかった。
そりゃそうです、だって舟はだいぶ動いた後なのだから。

出典】『呂氏春秋』(りょししゅんじゅう)ー察今(さっこん)
漢文】「楚人有渉江者 其劍自舟中墜於水 遽契其舟曰 是吾劍之所從墜也 舟止
    從其所契者 入水求之 舟已行矣 而劍不行 求劍若此 不亦惑乎」

 黔驢の技

黔驢の技● 

 読み】けんろ の ぎ
 意味】見かけだおしを自覚せず恥をかく

黔驢=黔州の驢馬(ロバ)

ー 驢馬(ロバ)を初めて見た虎の話 ー

黔州(けんしゅう)には、もともと驢馬(ロバ)はいなかった。
物好きな者が、驢馬を船に乗せて連れてきたが、
役に立たないので山の麓に放した。

虎→体の大きさに驚いて、 隠れる。
虎→鳴き声に驚いて遠くまで逃げる。
虎→近づくと蹴とばされる。

驢馬とはこの程度かと分かった虎は、驢馬に跳びかかった。

出典】『三戒』
著者】 柳宗元

 市に虎あり

市に虎あり● 

 読み】いち に とら あり
 意味】あり得なくても大勢が言うと信用される

ー 人質として他国へ行く龐葱(ほうそう)と魏王の話 ー

戦国時代のこと。
魏(ぎ)の龐葱(ほうそう)は、
太子と共に邯鄲(かんたん)へ人質となって行くこととなる。

出発前
龐葱:「今一人の者が市場に虎がいるといったら、王はお信じになりますか」
魏王:「信じぬ」
龐葱:「では、二人の者が言ったら」
魏王:「半信半疑であろう」
龐葱:「それでは、三人の者が言ったら」
魏王:「信じるであろう」
龐葱:「これから人質としていく自分を悪く言うものも沢山いるでしょう」
魏王:「自分で判断するとしよう」

龐葱が出発すると、讒言(ざんげん)をする者が現れた。
人質を解かれた龐葱は、魏王に目通りすることもかなわなかった。

讒言=ありもしない事を目上の人に告げ口すること。

出典】『韓非子』内儲説ないちょせつー上
著者】 韓非
漢文】「夫市之無虎也明矣 然而三人言而成虎」

 三舎を避ける

三舎を避ける

 読み】さんしゃ を さける
 意味】へりくだった態度を取ること

三舎=軍隊の三日間の行程で九十里(約60km)

ー 晋(しん)の君主文公(ぶんこう)が亡命中のお話 ー

春秋時代、
晋の公子・重耳(ちょうじ)は亡命生活を送っている中、
楚の国にたどり着く。
先々で冷遇されてきたが、楚の国では丁重なもてなしを受けた。

宴席での戯言
楚王:「公子は晋に帰ることができたら、どのように恩に報いてくださるか」
公子:「楚君のおかげで晋へ戻ることができたなら、
    晋と楚が中原で相対したときには、
    わたくしは楚の陣より三舎、後退いたしましょう。」

重耳(文公)は晋への帰国を果たし、
後に楚と対戦したとき、この時の約束どおり、行軍の三日分を退却した。

出典】『春秋左氏伝』ー僖公二十三年
漢文】「若以君之靈、得反晉國、晉楚治兵遇於中原、其避君三舍」

 橘化して枳となる

橘化して枳となる● 

 読み】たちばな かして からたち となる
 意味】人はその境遇によって性質が変わる

ー 他国の使者をからかったら逆にやりこめられた話 ー

春秋時代、斉(せい)国に晏嬰(あんえい)という弁のたつ人物がいた。
彼が楚の国に使者として来ることになった。
楚王は、からかってやろうと一芝居打つ。
晏嬰が到着し宴会が開かれる。
そこに、役人が一人の男を縛って通りがかった。

 王:「その者は何をしたのだ」
役人:「この者は斉人で、盗みを働きました」
 王:「ほう、斉人は盗みがうまいようだな。」
晏嬰:「橘という木は江南に植えれば橘であるが、
    江北に植えると枳(からたち)となるそうで。
    葉の形はよく似ているが、その実の味は全く違うとか。
    これは、水と土が違うからでございます。
    この斉の者は斉では盗みをしないのに、
    楚に来たら盗みをするようになったとは、
    楚の水と土がその者に盗みをさせたということでしょう。」

出典】『晏子春秋(あんししゅんじゅう)ー内篇雑下』
漢文】「橘化為枳」

 匹夫の勇

匹夫の勇● 

 読み】ひっぷ の ゆう
 意味】血気にはやった目先の勇気。

匹夫=身分の卑しい男。また、道理をわきまえない男。

ー 斉の宣王(せんおう)と孟子(もうし)のお話 ー

戦国時代、斉の宣王(せんおう)が孟子(もうし)に尋(たず)ねた。

宣王:「隣国との関わり方で正しい道というものがあるだろうか」
孟子:「自国が大国で、小国のために働く君主は、
    天を楽しむ者で天下を保つ者です。
    自国が小国で、大国のために働く君主は、
    天を畏れる者で自分の国を保つ者です。」
宣王:「よは勇を好むのだ」
孟子:「小勇を好まれてはいけません。
    剣を握りしめ怒鳴ったりするのは、『匹夫の勇』というもので、
    たった一人を相手にする者です。
    王さまは大勇をお持ちください。」
  
出典】『孟子』ー梁恵王下(りょうけいおうげ)
漢文】「王曰:「大哉言矣 寡人有疾 寡人好勇」
    對曰:「王請無好小勇 夫撫劍疾視曰 『彼惡敢當我哉』此匹夫之勇 
    敵一人者也 王請大之」

 嚢中の錐

嚢中の錐● 

 読み】のちゅう の きり
 意味】能力があれば必ず世に現れる 

嚢中=袋の中

ー 無名だった毛遂(もうすい)が国の危機を救う話 ー

趙国の邯鄲(かんたん)が秦に包囲されてしまう。
国の危機を救うため、平原君(へいげんくん)を使いとし、
楚の国に救援を求めることにした。
二十人の供を選ぶ中、毛遂(もうすい)が志願する。

平原君:「先生は食(しょっかく))となって何年ですか。」
毛 遂:「三年です。」
平原君:「賢人が世にあるのは、袋に入れた錐のごとく、
     その頭角がすぐに現れるものだ。
     三年になるのに誰も推薦しないし噂も聞かない。ムリ」
毛 遂:「わたしは、今日その袋の中に入れていただきたいと言っている。
     もっと早くわたしを袋の中に入れていたなら、
     先っぽどころか、錐の柄(え)まで出ていたでしょう。」

しぶしぶ、同行を許すことになりますが、
毛遂の活躍で連合の盟約が成るというお話です。

出典】『史記』ー平原君虞卿列伝(へいげんくんぐけいれつでん)
著者】 司馬遷
漢文】「平原君曰 夫賢士之處世也 譬若錐之處囊中 其末立見」

 塞翁が馬

塞翁が馬● 

 読み】さいおう が うま
 意味】人生の良い事も悪い事も予測はできない

ー 老人と飼っている駿馬の話 ー

国境の塞の近くに、占いにたけた老人(塞翁)がいた。
あるとき、老人の駿馬(しゅんめ)が逃げ出して胡人の国へ行ってしまった。
老人は、良い兆しだと言う。
数ヵ月後、老人の駿馬が胡国の駿馬を連れて帰ってきた。
老人は、災いの兆しだと言う。
息子が乗馬中に落馬をして骨折してしまう。
老人は、良い兆しだと言う。
一年後、胡人が塞へ攻めてきた。
息子は脚が悪かったので、兵役に行かず無事だった。

幸運か不運かは容易に判断しがたい。
人生なんて何がどうなるかわからないもの。

出典】淮南子(えなんじ)ー人間訓(じんかんくん)

 鼎の軽重を問う

鼎の軽重を問う● 

 読み】かなえ の けいちょう を とう
 意味】権力者の実力を疑うこと

鼎=金属製の三本足の釜で、王位の象徴とされるもの

ー 周をねらう楚の王と周の使者の話 ー

楚(そ)国の荘王(楚子)が、
陸渾(りくこん)地方の戎(じゅう)を伐ち、周の国境付近へとやってくる。
周国定王は、
楚子(そし)をねぎらうために、王孫満(おうそんまん)を派遣した。

楚 子:「周の九鼎(きゅうてい)の寸法はいかほどか。」
王孫満:「鼎の大きさは徳によって決まります。
     夏も商(殷)も徳を失って鼎が移りました。
     周の徳が衰えたといえ、天命は続いております。
     鼎の軽重を問うことは不遜です。」

出典】『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)ー宣公(せんこう)三年』
著者】 左丘明(さきゅうめい)
漢文】「楚子問鼎之大小輕重焉」

 危急存亡の秋

危急存亡の秋● 

 読み】ききゅう そんぼう の とき
 意味】存続か滅亡かの重大な瀬戸際

秋=重大な時期←収穫期だから

ー 蜀(しょく)の丞相諸葛亮孔明が主君劉禅に奉(たまわ)った上奏文 ー

上奏=意見や事情を王に申し上げる

臣下である諸葛亮が申し上げます。
先帝(劉備りゅうび)が漢王朝の復興という志半ばで崩御なさいました。
今、天下は三分され、わが地益州は疲弊しております。
これは『危急存亡の秋(とき)』
差し迫った危機であり、存続か、亡びかの、瀬戸際なのです。

出典】『出師表』(すいしのひょう)
著者】 諸葛亮
漢文】「此誠危急存亡之秋也」

 羹に懲りて膾を吹く

羹に懲りて膾を吹く● 

 読み】あつもの に こりて なます を ふく
 意味】失敗に懲りて必要以上に用心すること

羹=熱い汁物。
膾 =虀(なます) あえもの。

ー 屈原の見た夢の話 ー

楚の国の屈原(くつげん)は、
大国である秦(しん)に対して、対抗しようと主張するも、
同盟派に、あることない事を言われ、
楚王に疎まれ追放されてしまいます。
失意の中見た夢で、悪い神に
「『羹に懲りて膾を吹く』という言葉があるように、
 讒言(ざんげん)の怖さを十分に考え用心するべきなのに、
 なぜおまえは自分の意見を通そうとするのか」
と言われたのです。

讒言=ありもしない事を目上の人に告げ口すること

出典】『楚辞』九章・惜誦
著者】 屈原(くつげん)
漢文】「懲於羹而吹韲兮、何不變此志也」

 他山の石

他山の石● 

 読み】たざん の いし
 意味】直接関係がないものごとからも学びがある

ー 周王朝の宴会などで詠まれた歌 ー

「他山の石、以(もっ)て玉を攻(みが)くべし」
他の山から取ってきたありふれた石でも、玉を磨くのに役立つ。

書籍】『詩経(しきょう)―小雅(しょうが)ー鶴鳴(かくめい)』
漢文】「它山之石 可以攻玉」

 天知る地知る我知る人知る

天知る地知る我知る人知る● 

 読み】てんしる ちしる われしる ひとしる
 意味】不正・悪事はいつかは必ず露顕する

ー 楊震(ようしん)が賄賂を贈られたときのお話 ー

後漢王朝の時代、
清廉潔白(せいれんけっぱく)で知られる、楊震という人物がいました。
ある夜、王蜜(おうみつ)という男が訪ねてきます。

王蜜:「お世話になったお礼に金十斤(きん)です。」
楊震:「私というものを知っていて、これは何ですか。」
王蜜:「夜だし、このことは誰も知らないですし。」
楊震:「天が知っている、地が知っている、私も知っているし、そなたも知っている。
    これで、誰も知らないなんて言えるものか。」

出典】『後漢書・楊震伝』ー「天知る、知る、知る、我知る」
   『十八史略』ーーーー「天知る、地知る、知る、我知る」
*どれも間違いではない。4文字の組み合わせを間違えないように注意。

 和して同ぜず

和して同ぜず● 

 読み】わして どうぜず
 意味】協調するがむやみに同調しない

君子=徳の高い人、理想的な人物。
小人=一般人、駄目な人。

ー 孔子のお話 ー

孔子のお話。
立派な人物は、他人と仲よく付き合うが、安易に同調はしない。
つまらない人物は、他人に安易に同調するが、人と調和はしない。

書籍】『論語―子路』孔子
漢文】「子曰、君子和而不同、小人同而不和」