故事成語とは
故事成語とは
中国の古典に書かれている話(故事)を語源とし、ものごとの由来やたとえ、いましめなどを端的に表した言葉。
普段の会話で使うとちょっとカッコイイ故事成語を 20 集めてみました。
由来は、諸説あるなかの1つです。
「~とも言われています。」というお話です。
この記事の内容
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや
●燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや● 読み】えんじゃく いずくんぞ こうこく の こころざし を しらんや 意味】小物には大人物の考えや志がわからない 燕雀=小さい鳥 燕(ツバメ)や 雀(スズメ) 鴻鵠=大きい鳥 (オオハクチョウ) ー 嘆いている農夫の話 ー 農民の反乱が相次いでいた時代、 のちに楚(そ)王となる陳勝(陳渉ちんしょう)が、農夫だったとき 陳渉:「自分が偉くなった暁には、お前たちのことを忘れずにいよう。」 仲間:「ハハ、雇われ人が何を言っている?」 陳渉:「やれやれ、小さな鳥には、大きな鳥の気持ちなんて分からないよなぁ」 出典】『史記』 著書】 司馬遷 漢文】「燕雀安知鴻鵠之志哉」 |
帰りなんいざ
●帰りなんいざ● 読み】かえりなん いざ 意味】さあ帰るぞ ー 陶淵明が役人を辞して、故郷へ帰るときに詠んだもの ー 故郷の田畑が荒れていくというのに、こんなとこで役人やってて何をしているのだ自分は。 なぜ帰らん?さあ帰るぞ! 出典】『帰去来辞』(ききょらいのじ) 著者】 陶淵明(とうえんめい)中国東晋の詩人 漢文】「帰去来兮 田園将蕪 胡不帰」 書き下し分】 「帰りなんいざ、田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる」 |
泣いて馬謖を斬る
●泣いて馬謖を斬る● 読み】ないて ばしょく を きる 意味】己の情を捨て道理を通さなければならない時がある ー 三国時代、街亭の戦いでのお話 ー 街亭の戦いにて、 将軍馬謖(ばしょく)は、 蜀(しょく)の軍師諸葛亮の命令に背き、大敗してしまう。 諸葛亮にとって馬謖は、 愛弟子であり親友の弟であったが、斬罪(ざんざい)に処した。 出典】『三国志ー蜀書(しょくしょ)ー馬謖伝』『十八史略』 漢文】「亮爲政無私。馬謖素爲亮所知。及敗軍、流涕斬之、而䘏其後。」 |
李下に冠を正さず
●李下に冠を正さず● 読み】りか に かんむり を たださず 意味】誤解を招くような行為は避けるべき 李下=すももの木の下 ー 責任ある立場の人の処世訓 ー 君子たるもの、 疑われるような行動は未然に防ぎ、疑いを受けるようなところには居ないことだ。 瓜の畑では、かがんで靴を履くようなことはしない。 李(すもも)の木の下では、冠を直したりしない。 出典】 古典詩:『古楽府』(こがふ) 君子行 漢文】「君子防未然 不處嫌疑間 瓜田不納履 李下不正冠」 |
管鮑の交わり
●管鮑の交わり● 読み】かんぽう の まじわり 意味】利害に左右されない厚い友情 管鮑=管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)のこと ー 管仲と鮑叔の物語 ー 管仲は、今や中国春秋時代の斉(せい)の名宰相であり、鮑叔は斉の重臣。 かつて、 管仲→商いの取り分を多く取っていた。 鮑叔:貪欲じゃない、貧しいのを知っているから。 管仲→よかれと思うことがことごとく失敗。 鮑叔:時の運だよ。無能なわけじゃない。 管仲→戦いから逃げる。 鮑叔:臆病じゃない。老いた母の為さ。 今の主君に管仲を推したのも鮑叔。 管仲は言った、 「私を生んだのは父母であるが、私を理解してくれるのは鮑叔さんである。」 出典】『十八史略』 著者】曾先之(そうせんし) |
死せる孔明生ける仲達を走らす
●死せる孔明生ける仲達を走らす● 読み】しせる こうめい いける ちゅうたつ を はしらす 意味】死してなお畏れさせること 孔明=諸葛亮の字 仲達=司馬懿(しばい)の字 ー 五丈原(ごじょうげん)の戦いでの司馬懿の話 ー 三国時代、 蜀(しょく)と魏(ぎ)の争いである五丈原(ごじょうげん)の戦いの中、 蜀の丞相(じょうしょう)である諸葛亮が病没し、蜀軍は撤退した。 司馬懿は、諸葛亮が死んだと判断し蜀軍に攻め込んだ。 が、蜀軍が反撃のそぶりをみせたため、 死んだと思わせる計略に落ちたのかと 恐れおののき、退却した。 出典】『十八史略』 漢文】「死諸葛走生仲達」 |
剣を落として舟を刻む
●剣を落として舟を刻む● 読み】けん を おとして ふね を きざむ 意味】古い考えに囚われて時代の変化を理解しない ー 舟から剣を落とした人の話 ー 楚の国の人が、河を舟で渡っているときに、剣を河中に落としてしまう。 急いで、剣が落ちた場所として舟べりに目印を刻む。 舟が止まり、剣は目印の位置にあると潜って探す。 が、剣は見つからなかった。 そりゃそうです、だって舟はだいぶ動いた後なのだから。 出典】『呂氏春秋』(りょししゅんじゅう)ー察今(さっこん) 漢文】「楚人有渉江者 其劍自舟中墜於水 遽契其舟曰 是吾劍之所從墜也 舟止 從其所契者 入水求之 舟已行矣 而劍不行 求劍若此 不亦惑乎」 |
黔驢の技
●黔驢の技● 読み】けんろ の ぎ 意味】見かけだおしを自覚せず恥をかく 黔驢=黔州の驢馬(ロバ) ー 驢馬(ロバ)を初めて見た虎の話 ー 黔州(けんしゅう)には、もともと驢馬(ロバ)はいなかった。 物好きな者が、驢馬を船に乗せて連れてきたが、 役に立たないので山の麓に放した。 虎→体の大きさに驚いて、 隠れる。 虎→鳴き声に驚いて遠くまで逃げる。 虎→近づくと蹴とばされる。 驢馬とはこの程度かと分かった虎は、驢馬に跳びかかった。 出典】『三戒』 著者】 柳宗元 |
市に虎あり
●市に虎あり● 読み】いち に とら あり 意味】あり得なくても大勢が言うと信用される ー 人質として他国へ行く龐葱(ほうそう)と魏王の話 ー 戦国時代のこと。 魏(ぎ)の龐葱(ほうそう)は、 太子と共に邯鄲(かんたん)へ人質となって行くこととなる。 出発前 龐葱:「今一人の者が市場に虎がいるといったら、王はお信じになりますか」 魏王:「信じぬ」 龐葱:「では、二人の者が言ったら」 魏王:「半信半疑であろう」 龐葱:「それでは、三人の者が言ったら」 魏王:「信じるであろう」 龐葱:「これから人質としていく自分を悪く言うものも沢山いるでしょう」 魏王:「自分で判断するとしよう」 龐葱が出発すると、讒言(ざんげん)をする者が現れた。 人質を解かれた龐葱は、魏王に目通りすることもかなわなかった。 讒言=ありもしない事を目上の人に告げ口すること。 出典】『韓非子』内儲説ないちょせつー上 著者】 韓非 漢文】「夫市之無虎也明矣 然而三人言而成虎」 |
三舎を避ける
●三舎を避ける● 読み】さんしゃ を さける 意味】へりくだった態度を取ること 三舎=軍隊の三日間の行程で九十里(約60km) ー 晋(しん)の君主文公(ぶんこう)が亡命中のお話 ー 春秋時代、 晋の公子・重耳(ちょうじ)は亡命生活を送っている中、 楚の国にたどり着く。 先々で冷遇されてきたが、楚の国では丁重なもてなしを受けた。 宴席での戯言 楚王:「公子は晋に帰ることができたら、どのように恩に報いてくださるか」 公子:「楚君のおかげで晋へ戻ることができたなら、 晋と楚が中原で相対したときには、 わたくしは楚の陣より三舎、後退いたしましょう。」 重耳(文公)は晋への帰国を果たし、 後に楚と対戦したとき、この時の約束どおり、行軍の三日分を退却した。 出典】『春秋左氏伝』ー僖公二十三年 漢文】「若以君之靈、得反晉國、晉楚治兵遇於中原、其避君三舍」 |
橘化して枳となる
●橘化して枳となる● 読み】たちばな かして からたち となる 意味】人はその境遇によって性質が変わる ー 他国の使者をからかったら逆にやりこめられた話 ー 春秋時代、斉(せい)国に晏嬰(あんえい)という弁のたつ人物がいた。 彼が楚の国に使者として来ることになった。 楚王は、からかってやろうと一芝居打つ。 晏嬰が到着し宴会が開かれる。 そこに、役人が一人の男を縛って通りがかった。 王:「その者は何をしたのだ」 役人:「この者は斉人で、盗みを働きました」 王:「ほう、斉人は盗みがうまいようだな。」 晏嬰:「橘という木は江南に植えれば橘であるが、 江北に植えると枳(からたち)となるそうで。 葉の形はよく似ているが、その実の味は全く違うとか。 これは、水と土が違うからでございます。 この斉の者は斉では盗みをしないのに、 楚に来たら盗みをするようになったとは、 楚の水と土がその者に盗みをさせたということでしょう。」 出典】『晏子春秋(あんししゅんじゅう)ー内篇雑下』 漢文】「橘化為枳」 |
匹夫の勇
●匹夫の勇● 読み】ひっぷ の ゆう 意味】血気にはやった目先の勇気。 匹夫=身分の卑しい男。また、道理をわきまえない男。 ー 斉の宣王(せんおう)と孟子(もうし)のお話 ー 戦国時代、斉の宣王(せんおう)が孟子(もうし)に尋(たず)ねた。 宣王:「隣国との関わり方で正しい道というものがあるだろうか」 孟子:「自国が大国で、小国のために働く君主は、 天を楽しむ者で天下を保つ者です。 自国が小国で、大国のために働く君主は、 天を畏れる者で自分の国を保つ者です。」 宣王:「よは勇を好むのだ」 孟子:「小勇を好まれてはいけません。 剣を握りしめ怒鳴ったりするのは、『匹夫の勇』というもので、 たった一人を相手にする者です。 王さまは大勇をお持ちください。」 出典】『孟子』ー梁恵王下(りょうけいおうげ) 漢文】「王曰:「大哉言矣 寡人有疾 寡人好勇」 對曰:「王請無好小勇 夫撫劍疾視曰 『彼惡敢當我哉』此匹夫之勇 敵一人者也 王請大之」 |
嚢中の錐
●嚢中の錐● 読み】のちゅう の きり 意味】能力があれば必ず世に現れる 嚢中=袋の中 ー 無名だった毛遂(もうすい)が国の危機を救う話 ー 趙国の邯鄲(かんたん)が秦に包囲されてしまう。 国の危機を救うため、平原君(へいげんくん)を使いとし、 楚の国に救援を求めることにした。 二十人の供を選ぶ中、毛遂(もうすい)が志願する。 平原君:「先生は食(しょっかく))となって何年ですか。」 毛 遂:「三年です。」 平原君:「賢人が世にあるのは、袋に入れた錐のごとく、 その頭角がすぐに現れるものだ。 三年になるのに誰も推薦しないし噂も聞かない。ムリ」 毛 遂:「わたしは、今日その袋の中に入れていただきたいと言っている。 もっと早くわたしを袋の中に入れていたなら、 先っぽどころか、錐の柄(え)まで出ていたでしょう。」 しぶしぶ、同行を許すことになりますが、 毛遂の活躍で連合の盟約が成るというお話です。 出典】『史記』ー平原君虞卿列伝(へいげんくんぐけいれつでん) 著者】 司馬遷 漢文】「平原君曰 夫賢士之處世也 譬若錐之處囊中 其末立見」 |
塞翁が馬
●塞翁が馬● 読み】さいおう が うま 意味】人生の良い事も悪い事も予測はできない ー 老人と飼っている駿馬の話 ー 国境の塞の近くに、占いにたけた老人(塞翁)がいた。 あるとき、老人の駿馬(しゅんめ)が逃げ出して胡人の国へ行ってしまった。 老人は、良い兆しだと言う。 数ヵ月後、老人の駿馬が胡国の駿馬を連れて帰ってきた。 老人は、災いの兆しだと言う。 息子が乗馬中に落馬をして骨折してしまう。 老人は、良い兆しだと言う。 一年後、胡人が塞へ攻めてきた。 息子は脚が悪かったので、兵役に行かず無事だった。 幸運か不運かは容易に判断しがたい。 人生なんて何がどうなるかわからないもの。 出典】淮南子(えなんじ)ー人間訓(じんかんくん) |
鼎の軽重を問う
●鼎の軽重を問う● 読み】かなえ の けいちょう を とう 意味】権力者の実力を疑うこと 鼎=金属製の三本足の釜で、王位の象徴とされるもの ー 周をねらう楚の王と周の使者の話 ー 楚(そ)国の荘王(楚子)が、 陸渾(りくこん)地方の戎(じゅう)を伐ち、周の国境付近へとやってくる。 周国定王は、 楚子(そし)をねぎらうために、王孫満(おうそんまん)を派遣した。 楚 子:「周の九鼎(きゅうてい)の寸法はいかほどか。」 王孫満:「鼎の大きさは徳によって決まります。 夏も商(殷)も徳を失って鼎が移りました。 周の徳が衰えたといえ、天命は続いております。 鼎の軽重を問うことは不遜です。」 出典】『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)ー宣公(せんこう)三年』 著者】 左丘明(さきゅうめい) 漢文】「楚子問鼎之大小輕重焉」 |
危急存亡の秋
●危急存亡の秋● 読み】ききゅう そんぼう の とき 意味】存続か滅亡かの重大な瀬戸際 秋=重大な時期←収穫期だから ー 蜀(しょく)の丞相諸葛亮孔明が主君劉禅に奉(たまわ)った上奏文 ー 上奏=意見や事情を王に申し上げる 臣下である諸葛亮が申し上げます。 先帝(劉備りゅうび)が漢王朝の復興という志半ばで崩御なさいました。 今、天下は三分され、わが地益州は疲弊しております。 これは『危急存亡の秋(とき)』 差し迫った危機であり、存続か、亡びかの、瀬戸際なのです。 出典】『出師表』(すいしのひょう) 著者】 諸葛亮 漢文】「此誠危急存亡之秋也」 |
羹に懲りて膾を吹く
●羹に懲りて膾を吹く● 読み】あつもの に こりて なます を ふく 意味】失敗に懲りて必要以上に用心すること 羹=熱い汁物。 膾 =虀(なます) あえもの。 ー 屈原の見た夢の話 ー 楚の国の屈原(くつげん)は、 大国である秦(しん)に対して、対抗しようと主張するも、 同盟派に、あることない事を言われ、 楚王に疎まれ追放されてしまいます。 失意の中見た夢で、悪い神に 「『羹に懲りて膾を吹く』という言葉があるように、 讒言(ざんげん)の怖さを十分に考え用心するべきなのに、 なぜおまえは自分の意見を通そうとするのか」 と言われたのです。 讒言=ありもしない事を目上の人に告げ口すること 出典】『楚辞』九章・惜誦 著者】 屈原(くつげん) 漢文】「懲於羹而吹韲兮、何不變此志也」 |
他山の石
●他山の石● 読み】たざん の いし 意味】直接関係がないものごとからも学びがある ー 周王朝の宴会などで詠まれた歌 ー 「他山の石、以(もっ)て玉を攻(みが)くべし」 他の山から取ってきたありふれた石でも、玉を磨くのに役立つ。 書籍】『詩経(しきょう)―小雅(しょうが)ー鶴鳴(かくめい)』 漢文】「它山之石 可以攻玉」 |
天知る地知る我知る人知る
●天知る地知る我知る人知る● 読み】てんしる ちしる われしる ひとしる 意味】不正・悪事はいつかは必ず露顕する ー 楊震(ようしん)が賄賂を贈られたときのお話 ー 後漢王朝の時代、 清廉潔白(せいれんけっぱく)で知られる、楊震という人物がいました。 ある夜、王蜜(おうみつ)という男が訪ねてきます。 王蜜:「お世話になったお礼に金十斤(きん)です。」 楊震:「私というものを知っていて、これは何ですか。」 王蜜:「夜だし、このことは誰も知らないですし。」 楊震:「天が知っている、地が知っている、私も知っているし、そなたも知っている。 これで、誰も知らないなんて言えるものか。」 出典】『後漢書・楊震伝』ー「天知る、神知る、子知る、我知る」 『十八史略』ーーーー「天知る、地知る、子知る、我知る」 |
和して同ぜず
●和して同ぜず● 読み】わして どうぜず 意味】協調するがむやみに同調しない 君子=徳の高い人、理想的な人物。 小人=一般人、駄目な人。 ー 孔子のお話 ー 孔子のお話。 立派な人物は、他人と仲よく付き合うが、安易に同調はしない。 つまらない人物は、他人に安易に同調するが、人と調和はしない。 書籍】『論語―子路』孔子 漢文】「子曰、君子和而不同、小人同而不和」 |